いじめられっ子喪女がモテたい…と真剣に願ってモテに目覚めるまで
※プロローグのような部分なのですが、割とハードなお話なので苦手な方は次の章まで飛ばして下さい。m(_ _)m
思い返せば私は小学校1~6年、中3くらいまでいじめられっ子だったんです。
「いじめ」といえば少し聞こえはソフトに聞こえますが、その実態は暴力や暴言、無視など社会的切り離し、小物の盗難、故意による破損などを伴う。小さな子ども社会での「社会的死」やスクールカーストでの最下層を意味する重い物でした。
(実際に暴行を受けた際、幸い目撃者もあったためその場で警察に通報し、実行犯の男の子が現行犯で捕まり、一人保護施設に送られた事もありました。)
同級生の子たちの、戦々恐々とした派閥のやり取りに心身共に疲れ果てて、大体の子供が察しては守る暗黙のルールに違和感を感じ、私はついにボイコットして自暴自棄気味に投げ出しました。
集団のルールからドロップアウトすることで、無意識に保護を求めていたのです。
ですが動物的な群れ社会である子ども社会は当然、そんな異分子を受け入れる事なく、当然のように少数派の弱者として切り捨てました。
「群れないと何もできない人間よりはマシ」とプライドのみで自分のアイデンティティをかろうじて保ってはいたのですが、正直なところは崩壊寸前でした。
![「壁に寄りかかって寝落ちする女性」の写真[モデル:にゃるる]](https://www.pakutaso.com/shared/img/thumb/346TSURUTAMA20211_TP_V.jpg)
ZARDの「負けないで」曲をCMなんかで聞いても、当時はなんて嘘くさい歌だろうと思っていました。
(今は膨大な単純作業で心折れそうな時とか、便利に使わせて頂いています。(笑))
なんでも努力でどうにかなると真剣に思っているだなんて、一体どれだけ平和な世界があると言うのだろう。
一対多数でいたぶられ、集団の気分しだいでは、物のように扱われる。
自分一人の努力ではもはやどうにもならない状況。「自分の現実」とのギャップから当時は全く共感も理解もできないでいました。
不特定多数から向けられる明確な悪意に日々さらされ、大人の世界のような法的守りはなく。
ありとあらゆる嫌がらせや裏切り、弱者を精神的に追い詰めて遊ぶ残虐な遊びのを先読みしたりして、身を守るために沢山の工夫をしなければならず、気の休まることなどない小さな戦場。
自分に価値などない、いっそ死んだほうが楽と思うほど疲弊していました。
全てに底のない悪意を返したいほど世の中を呪っていましたが、その悪意を向ければそれを理由にまた攻撃を受けるため、ひたすら耐えそのまま中学を卒業しました。

※余談ですが、少女マンガの花より男子やピーチガールなどのコミックに描かれている雰囲気は、とてもスクールカーストの実態をリアルに捉えていると思います。
最も親しいと思っていた人がある日敵になり最も傷つく事を実行してくる。ドロドロの地獄絵図の展開など、まさに閉鎖的な学園生活での女学生あるあるですね。
気になる方は漫画喫茶などだと手軽に観覧できますよ。辛くなったら気分転換もしやすいのでオススメです!
当時の私は学校・家庭という特殊な閉鎖的環境の中で犠牲になった自分について、その原因は「自分の能力のなさなど自分一人の責任」だと責め続けていました。
もちろん荒んだ周りの環境の異常さを理解することもできません。
適応できない自分が悪いと常に考えていました。
そこから這い出し、やっと人並みに「自分にも価値があり、大切にするべき一人の人間なんだ」と自覚できたのはそこから10年以上先の事でした。
中学卒業当時、
・群れ社会やカースト制度の気配が色濃く残る、全日制の普通高に通う気力はもう残っていないこと。
・また身を守ることに必死で集中していたことで、生きる意欲も失せ、精神状態も今だ生死の境目にいたこと。
・生きることに必死で学ぶどころではなく、学力以前の状態であったこと。
これらのことがあり必然的に、進学高校などは望まず社会人などが多く空気感の違う、通信制と単位制がメインの学校を選ぶことになりました。
このある種の逃げにも見えるこの選択を選んだ時、何故か「ホッとした」ように感じ、この選択が後の自尊感情の回復、ひいては人生の回復につながったように感じています。
ここでは、金銭的な問題や家庭の事情、病気、中退など色々な事情で来ていた同級生に沢山出会うことができました。
多かれ少なかれ、心身に重い傷を負っている人が多かったので、ある種お互いに痛みや事の重大さが理解でき、とても安心したように思います。
この不思議な多様性に溢れた学校で、色々な人生の多様さを知りつつ、平和に過ごし。
その中で本当にゆっくりですが、回復していきました。
そしてモテたい!という昔からあった願望を仲間と話して少しずつ行動にすることができ、(夏祭り前に、神社でひと夏の恋がしたい!とか祈ったり、水着を買ったり、浴衣を出したり学生っぽいことができてとても嬉しかった時期だったことを記憶しています。)

そして念願の初彼氏ができました!
(中学時代男の子にお腹を蹴られて警察を呼んだ事件の発端は、主犯格のリーダー格の女の子の好きだった子に、私が告白されたことが発端だった為、人の好意に恐怖を覚えるようになっていました。)
人生を諦めていた中で一人でも自分を見てくれる人がいた事は、今でもありがたいことだったと思うと同時に。
「ようこそ!だめんずうぉ~か~への、記念すべき第一歩!」という事実に気が遠くなりますね(笑)
\(^o^)/やっと始まったぞーみたいな。
はい、次回からだめんず・うぉ~か~卒業に向けてが始まります。

※余談ですが、子供が高校に上がるまでは賃貸のほうが無難だと思います。子供の安全を守るために引っ越しと転校という逃げ道を残してあげることができるからです。
(私は当時、主犯格たちの行なう「連帯責任ごっこ」という集団ストーカー行為に悩まされていました。学校に来ない生徒を「学校に来ない仲間を呼び戻す」などと内申点が上がるであろう体裁の良いことを言って、主犯格が学校に課外活動として申請し、追いかける迷惑で陰湿な遊びが流行っていたりしたためです。)
また、暴力・窃盗・恐喝が行われた場合は証拠を押さえて、その場で通報し、警察の介入を促すことを強くおすすめします。
学校側やPTAなどが何か具体的な動きをすることは経験上ありえません。
例として、画鋲を入れている生徒の動画を収めて、それを報告した際の対応は、教員が私にかけた言葉は動画を消して「靴に偶然画鋲が入っただけだから許してあげて。」でしたが、警察が介入すると教員は嘘のように手のひらを返しました。それが教育現場での現実です。ですので、手遅れになる前に通報をおすすめします。
今であれば警察に通報したり、学校側に課外活動の実態を報告したり、弁護士を通して親御さんに内容証明郵便を送って課外活動を報告してしっかりと慰謝料を頂き、そのお金で転校して学校を変えたと思います。
場所を変えずに周りの人間の性格を変えることは不可能ですので、こちらの行動を変えてしまう方が建設的だと感じています。
余談ですが、連続殺人などを起こす人の背景には幼少期の虐待等があることが多いと言われています。
昔、人に心を殺されたから、彼らは人食いトラになってしまったのかもしれませんね。
私はいじめは心の殺人だと感じています。
私がトラにならずに済んだのは、人として幸せになれたのは、高校時代の1代目だめんず君との出会いが大きかったように思います。
この場を借りて深い感謝を。